天気の子

  天気の子を見てきました。ネタバレにならない程度に情報収集して予備知識を入れていったのですが、見終わった後に確認すると、ネタバレにならないネタバレが多すぎることがわかりました。物語の核心には触れてなくても、自分のようないにしえのエロゲユーザーにはニュアンスで通じてしまう。ほんとに、懐かしい気持ちになりました。

  まず前提としてこの映画ってアニメやエロゲーの業界としてのトレンドや歴史の変遷などへの造詣の深さによってかなり見方が変わると思うんです。なので自分の戦闘力を先に記しておきますと、2000年前後のいにしえのエロゲーをさらりと舐めています(葉鍵、型月、田中ロミオ系統等々)。が、アニメは昔も今もノータッチ。監督の新海誠さんの名前も今回初めて知りました。君の名は。も見ていません。音楽担当のRADはかなり初期からファンでしたがアルバム4枚目くらいで見切りました。だから2ndが至高つってんだろ!ちなみに今作については、ファンから叩かれるかもしれないけど、映画見ながら挿入歌のタイミングのたびにひたすら「邪魔だなぁ」と思ってました(笑)。多いんだよ挿入歌が!!セックスシーンないからって歌を挿入してピストンしまくればいいもんじゃないだろいい加減にしろ!!ってまぁ、これは完全に映画と関係のないところで勝手に野田君の歌声にアレルギー起こしてるだけなのでアレなんですけど、まぁ、それでも歌手が前面に出しすぎじゃないですかね、アニメ映画これ以外知らないんでわかりませんが。

  と、いうわけでとても昨今の業界事情にはとんと疎いため、純粋に2時間のアニメ映画を見た古きエロゲユーザー視聴者って立ち位置での内容についての感想ですが、懐かしいなあって純粋に思いました。各所で話題になりまくってるけど、古のエロゲーのトゥルーエンドですよね。離れて久しいエロゲ脳を振り絞ると、多分「陽菜が助かって、なおかつ帆高と離れ離れにならず、なんやかんやあって天候も回復しちゃう」あたりの条件を満たすのがハッピーエンドなのかな? それに比べれば、今作はトゥルーエンド。ストーリーとしては。
  率直な感想は、「長編エロゲシナリオを2時間で収めようとしたらエピソードが飛び石になってキャラごとの掘り下げがおざなりになり、特に主人公のヒロインへの強い執着の理由付けが不十分」でした。
  趣味でなろう小説を漁っている身で思うのは、たとえば素人の小説、しかも連載ってなると言ってしまえばどれだけ引き伸ばしてもいいんですよね。まさに素人の強み、作者の勝手。後から設定生やしまくって展開が伸びるとかザラですよ。それに比べてプロの手がける映画となると、限られたシナリオを一定の枠に収めなきゃいかんわけで、情報やエピソードの取捨選択や魅せ方がものすごくシビアになると思うんです。で、それを加味した上で、駆け足だなぁって思いました。いわゆる日常シーンの積み重ねとか、キャラの関係性の変化とかね。バッサバッサ飛ばしまくるから、なかなかスッとついていきにくい。凪くんとの関係の変化も一瞬だし。あの手のツンデレ身内の懐柔って一悶着、ひと盛り上げあってこそじゃないの? あだち充にやらせてみろよ! と。それと同様に、肝心要の陽菜との関係も、すげーポンポン進むから、帆高くんの童貞力の高さを思えばベタ惚れしてても不自然ではないんだけど、シーンとしての積み重ねの絶対量がないから、最後の線路のシーンや圭介との必死なやり取りが上滑りしている。根本的に2時間弱でやれるストーリーではないんじゃないかなこれ。陽菜に惚れてるのはわかるがそこまでするほどだったか?と。そしてその違和感の原因を突き詰めると、主人公である帆高自身への掘り下げが半端なことかなと。家出して東京に来た少年、ただただ帰りたくないと主張していたので、どんなとんでもない生活だったんだ?と思って見ていたけど、特に具体的な言及はなかった。島での晴れ(陽射し?)へ焦がれるシーンは回想であったけど、それくらいか? 仮に、島での凄惨なエピソードがあり、対比させる形で圭介や夏美や陽菜、凪との生活が帆高にとってどれほど貴重で、有難く、素晴らしいものだったか、という構図ならわかるけど、結局帆高はなぜ家出というか、島への忌避感をあれほど強く出していたのか、自分はわからんかったので、圭介に同調したし、帆高の勢いに若干引いた。お、お前、島に戻ったら一生監禁でもされんのか?と。でも、そこに説得力を持たせようとすると、日常編をすげー長さでぶち込む必要があるわけで、逆に細切れにしてお茶を濁すしか道がなかったのかもしれない。

  やっぱり全体を通すと、ン十時間のシナリオを2時間アニメで収めようとしたら半分ダイジェストになった、という印象でした。俺が知らないだけで、映画だと、ストーリーの進行と情報更新の速度がこのくらいが普通なのだろうか?

 で、つらつら述べたように、世界観単位で見た場合、この天気の子という物語は別ルートの余地や隙間の補完がこれでもかというくらい溢れているわけなので、裏を返せば二次創作の恰好の的であり、もっと言えばスピンオフ、続編等に含みを持たせる上でのあえての構成なのかとも思ったけど、いやでもそれで本編がスカスカで本末転倒になってもしゃーないしなぁ。違うか。

  前作は見てないからわからんけど、FF7-8現象が起きてるのかな?とも思う。売り上げ的には8の方が良かったけどそれは前作の7の評価が高かったからで、8自体は好き嫌いがそれはもうはっきり分かれた。自分は8が一番好きだったんですけどね。

 しかし、あらためて異常事態だと思う。一昔前のエロゲユーザーに刺さるって、それ、裏を返せば一般の(この手の予備知識のない層の)方々は置いてけぼりにされているんでねーの?と。とういう位置付けの映画になっていくのか、映画単体の出来よりも周囲への影響が気になる作品でした。