ただ強くあったそいつ

 そいつは生まれつき、優しかった。常に自分より他人を優先し、たとえ飢えていても、少ない食料を進んで女子供に分け与えた。ときには、自分で獲った獲物すら、少しも口にせずに妻と子供と仲間たちに与えた。彼が住んでいるところは何より食糧が不足しており、その日その日に食い物にありつければしめたものだったというのに。
 やがてそいつは、群れの間でリーダーと称された。誰よりも強く、誰よりも優しく、そして誰よりも気高かった。けして敵には後姿を見せず、味方を甘やかしもしない。弱きを助け、強きを挫く。そいつは、ヒーローそのもだった。
 天敵がきた。群れの全員が束になってかかっても到底敵わない、絶対的な実力差のある強敵が。敵が駆ければ、群れは散り散りになって逃げ惑うしかない。誰よりも強いリーダーは、誰よりも速く逃げ延びることができた。今までも、度重なる急襲からことごとく逃げおおせてきた。群れの仲間も、踏み間違えなければけして敵に捕まることはなかったのだ。
 だがそいつは、逃げなかった。仲間が一人、逃げ遅れたのだ。敵は速い。そのままでは間違いなく彼女は捕まる。敵に捕まり、容赦なく細切れにされるだろう。そんなことを思う間もなく、そいつは飛び出していた。自分の役割とか、仲間の未来とか、そんなものは関係なく、ただ気がついたら、迫る敵の眼前へと躍り出ていた。容赦なく振るわれる牙。抗いようもなく首を挟まれたそいつは、意識を失う瞬間まで、ただ願った。仲間の無事を。彼女の生還を。……ほんとうの、最期まで。