絵とか文章とか色とかイメージとか色々

 もはや元ネタがなんだったのかよくわからくなってきたころに便乗。
 今のところ、なげさんから始まりりょーとを経由し、相沢へ不時着した感じだろーか。
 ……なにについて書けばいいんだっ。
 ええとまず、なげさんの「普通に生活をしている時、頭の中が絵で動く人と文章で動く人がいる気がする。」を受けて。
 自分は絵でもなければ文章でもなく、印象にも近いけれどピンとこない。自分でもよくわからないんですが、一番当てはまりそうな表現をすると、状況で動いている、ということに。言い換えれば全てその場の判断、もしくは直感ですね。いつもたいてい何も考えてなくてぼんやりとしていて、脳がなにか情報が入ってきたときの準備をしていないから、アクション・リアクションのほとんどが脊髄反射なんですよ。人と話しているときも一人でなんかやっているときもそれは同じで、だから電話みたいな、ただ漠然とした会話って苦手。きちんとした話題(目的)があるときはいいんですが、つらつらーって特に話題もなく思いついたことを言い合うような会話には参加できずに押し黙ることが多々あります。そして、記憶力はいいけれど記憶ができない。なんのこっちゃって話ですが、Aを聞いているようで、そのとき脳はAを聞くための準備で手一杯だから、Aが話し終えたときにようやく聞く準備が整った感じで、だから残りっぺのイメージでしか記憶できてないんですよ。ゆえに、ちょっとしたことはほぼ忘れます。というか物忘れの激しさが自分でもあぶないと思えるレベルにまで達してきている今日このごろ。不用意、不注意、とはよく言われます。だって、後も先も考えてねぇんだもん。一度覚えればまず忘れないんですが。どうでもいいことほどよく覚えるよね。プロ野球の公式記録とか、FF10のブリッツボール選手のステータスとか、FF7のカードゲームの数字とか。
 次の話題。↑の話を、物事を考えるとき、文章を読むとき、に場合わけして。
 物事を考えるとき……考えるときかぁ……そもそも考えるという行為をあまりしないから……いや、今のような状態をいうのか……うーん、どちらかというと、文章、かな……いやでも、何を考えるのかにもよるか……うん、パスだ……
 文章を読むとき。りょーとの弁によると、俺は「なに考えて読んでんだか全然わかんねー」なのですが、当たらずとも遠からず。基本的に何も考えないで読んでます。そして、そのあとに言っている「素直に作品に身を委ねてんじゃないかなぁ」、が正解です。どのような読み方をするかは、俺が決めるんじゃなくて作品が決めるんですよね。たとえば村山由佳の「おいしいコーヒーのいれ方」は、絵が作中に何枚かあるせいか、絵つきの状況を思い浮かべながら読んでます。動いたりはしないけれど。そして相沢のSSは、絵ではなく、視点となったキャラの思考の渦に巻き込まれることに快感を覚えながら読んでます。だから女よりも男視点で書いたやつの方が好きな話が多いし、ひるがえって三人称で書かれたのにはあまり惹かれない。ティアーズとか、かのんこんぺのとか。
 文章の受け取り方は、文章の種類によって対応が変わってくる。もともと、確たる読み方を認識できるほど本を読んでいないのだけれど。不器用なんだか器用なんだか何なんだか。でも、基本的に、俺は上で述べた通り、その場その場、で動く人間なので、衝動的であったり刹那的であったりする文章には強く惹かれることが多いです。で、相沢のはそれに近い。あと、第3回かのんこんぺ中篇部門で逆トップ10にあった「sTrAwbErRy FiElDs fOreVeR」、「炉辺に腰掛けて、」、「あの素晴らしい愛をもう一度……いや、マジで。
お願い。俺んトコだけでもいーから!」の三つに満点つけてるのも、そういう理由からだろうな。
 次の話題に。イメージと文章……イメージはどうだろー。これは相沢にかなり近いかもしれない。そのときのイメージはすべからく「印象」として保管されていて、それを取り出したりはできるけど、なんか漠然としてるんですよね。ゲームやったり漫画読んだり本読んだりして、色々な感情は抱くんですけど、どれも曖昧で理由がはっきりしない。考えるんじゃない、感じるんだっ。を地で行ってるような気がする。理性じゃなくて感性で生きてるような人間だからか。イメージばかり追いかけてプロット書けないのも同じだし、飲み会でスベるのも同じ。いや俺はあんまりスベりはしないけれども(相沢のおかげで)、騒いだりネタかましたりするときには、周囲への影響とか一切考えてないですし。「いま思いついたこと(ネタ)、が俺にとって世界の全てだ」みたいな。そして、ブルマをかぶったり投げたりする。なんでもにゃい。
 SS書くとき。最近ちょこちょこ書いてるシリアスな話はほぼイメージだけで書いてます。このイメージ(イメージとしか表現できない、いわゆる感覚)を出すために必要な文、単語のつながり、文字の組み合わせは、という探索行為に没頭している感じ。で他のは状況です。ギャグだろうかラブだろうがエロだろうが全ては状況から。あ、でもギャグの場合はネタありきかもしれない。そのネタを生かすために必要なシチュを用意する、と。やっぱりシチュに行き着きます。いいシチュだってことではなく、そのシチュエーションが出発点という。シチュ自体は、なんもおもろくないのがほとんどです。それも、作品全体を象徴するような大掛かりなシチュエーションではなく、この場所でこのキャラとこのキャラが会話するだとか、舞台は学校だとか、朝の通学路だとか、役に立つのかどうか疑わしいような一場面のことです。ネタがないとき(いつも)は、そんなふうに「○○で○○が○○する」形式に当てはめて無理やり話作ってるし。そして残るのは、あと衝動だけだよ……ウフフ……これでよく書けるな……そういえば、いもぶる祭りに投稿した作品はほとんど衝動だけで書いていた記憶が……
 自己分析って難しいよね。