幾多の悩みがそうであるように

 簡単な事でぽっと頭が晴れました。
 バイトが終わった後に、後輩に冗談交じりにせがまれて、みんなにジュースを奢りました。小銭入れしか持っていなかったのですが、何とか全員分捻出できたので一安心。光源が自販機の明かりしかないスーパーの駐車場で喜ぶ高校生たちと一緒に自分もコーヒーを啜りながら、そんな彼らを見ていて、なんだかうじうじ悩んでいるのがどうでも良く思えてきたのです。どうでも良いと言っても投げやりではなく、そんな深刻に考え込む事でもないんじゃ、というふうに、ある種の諦めにも似た、開き直った心境に。
 今日のバイトで、例のあのコと休憩が一緒だったのですが、こっちが先に休憩に入って和室で伸びていると、向こうが自販機のある手前の部屋に入った様子です。そちらには水道もあるため、手洗いを装って一度確認に出ます。出たときに一度目が合って、逸らして、水道で目を洗って、戻るとき、また目が合う。そしてそのまま思いっきり目が合ったまま退場。何をしているんでしょうか、俺は。
 和室で再びぐでんとなってから、考えます。今の自分はどうしたいと思っている? それはずばり、そのコと会話がしたい。じゃあ話しかけてみよう、と。確かに、俺が休憩を取れるのは毎週土日だけで、日曜日の休憩のときは自宅に戻るので、こうして土曜の休憩で会えるというのは相当運が良い事なのです。そのせっかくの機会を、仕事中と同じでただ遠くから見ているだけで終えてしまうなんて、とても勿体無い事なのです。だから、話しかけてみよう。会話に失敗して空気が気まずくなっても、何のことはない、以前と何も変わりはしないのです。
 しかし、残念な事に、そう決心して腰を上げ、隣室を見てみると、そのコは既に仕事に戻ってしまった後でした。うーん、空回り。
 実は隠し子居るんじゃない? と社員の方にからかわれます。パートのおばさんたちにも、きちんと正装して社員の方(五歳年上)と並んだら、絶対どっちが年上か分からない、と言われます。年上の方から年上に見られるのはどうという事はないのですが、同学年や年下の人に実年齢よりも上に見られると、ちょっと落ち込みます。そんな年頃、ハタチ。